1) 告知とは
精子提供や卵子提供における告知とは、「精子提供や卵子提供で産まれた子供に、出生についての真実を伝えること」です。
幼少期に行うのが良いとされています。
絵本を使って告知をしたり、誕生日のタイミングだったり、産まれてすぐから日常的に話していたり、会話の自然な流れから今だと思って告知をしたり、告知の仕方は家族によって様々です。
2) なぜ告知は必要か
日本では2000年代に入り、DI児(精子提供により産まれた子供)が、アイデンティティクライシスの体験と告知の大切さについて語り始めたのが始まりです。
告知を受けずに成人したDI児が、意図せぬきっかけにより偶発的に自分が精子提供で産まれた事実を知ってしまった場合には、彼ら・彼女たちは今までの自分のアイデンティティがガラガラと音を立てて崩れていくように感じてしまうそうなのです。
自分の出生は全て嘘で塗り固められていたのか、隠さなければならないような後ろめたい出生の仕方だったのか、と。
そして親子関係にも亀裂が入ったり、自分のアイデンティティに苦しんだりされています。
そんなDI児の方たちが訴えていることが、「AIDが後ろめたいことでないならば、小さな頃から真実を話してほしい。」ということなのです。
3) 告知しない方が良いという意見
しかし・・・
こんな声も聞きます。
- 成人してから自分が提供精子で生まれたという事実を知った人がアイデンティティクライシスを起こし苦しんでいるのを見ると、逆に隠し通したほうがいいと思った。
- 精子提供で産まれた事実を知ってしまったから苦しんでるのであって、ずっと隠し通すことが出来るのであれば、それがベストだ。
- 与えずに済むなら子供には重荷を背負わせず、親がそれを背負って墓場に行ったほうがよい。
実は私も最初は、子供に重荷を背負わさないで済むのなら告知はせず、AIDの事実は夫婦だけで墓場まで持っていこうと考えていた一人なのです。
でもそれは正しいのでしょうか?
告知をせずに暮らしている人たちの調査が出来ないので、これも多くのデータはありません。
ただ、告知をせずに暮らすということに苦しみ続けた親の話は度々聞きます。
子供から出生にまつわる話題をふられる度、嘘をつき続けなくてはなりません。
その罪悪感に徐々に親のほうが苦しくなっていくそうです。
そして家庭自体の空気が重たくなってしまうと。
すると、そんな違和感を感じ取って子供が苦しんだり、更には自分は浮気相手との間に出来た子供かもしれないと人知れず悩んだという子供の話も聞いたことがあります。
告知をしないという選択は、想像する以上に歪みが様々なところに生じる可能性が高いと言えるかもしれません。
又これからの時代は遺伝子検査も気軽に行えるようになるでしょうし、精子提供や卵子提供についての認知度も上がり、子どもたちが疑問を感じる機会が増えるのではないでしょうか。
4) 告知を受けて育つとどうなる?
まだ告知を受けて育った子どもたちのデータが少ないのではっきりしたことは言えません。
日本ではまだ告知が一般的になり始めてから10年も経つか経たないかです。
でも海外のデータや日本の養子の経験談を見ても、幼い頃から適切な告知を受けた子供は、概ね自分が精子提供で産まれた事実を自然に受け止めています。
親が精子提供について肯定的に捉えて告知しているならば、それは子供にも伝わり子供も肯定的に捉える傾向にあるでしょう。
又、子供はドナーと父親を混同することもありませんし、父子関係が告知によりギクシャクするということも私の知る限り聞いたことはありません。
5) 告知とは愛を伝える事
ここからは完全に精子提供で授かった子供を育てている私の主観的な思いです。
私自身、精子提供で産まれた娘に告知をしましたが、今では「告知とは愛を伝える事」だと思っています。
告知って、とても暖かいものです。
パパとママがどれだけ子供が欲しかったか。
でも出来なくてすごく悲しくて。
そんな時にドナーさんからもらったプレゼントにどれだけ感謝したか。
あなたがお腹に来てくれた時や産まれた時には言い表せないくらいの幸福感・満たされた思いを感じたこと。
そんな事を伝えつづけていたので、娘にとって精子提供についての話題は、親の愛情を再確認する場でもあります。
気構えて話すような話題でもなく、普通の何気ない日常の延長線上にあります。
告知というと少し構えてしまいがちですが、固く構えずに、「大好きだよ」と伝える延長線上にあるっていうくらいの認識で良いのではないかなとも私は個人的に感じています。